2012年4月11日水曜日

Musikfreund−名盤への招待 201109



モーツァルト/交響曲第33番変ロ長調 K319
ヨーゼフ・クリップス指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
1972年11月 アムステルダム、コンセルトヘボウ(ステレオ録音)
PHILIPS UCCP3456-61(2007年5月発売)

Mozart Sinfonie Nr.33 in B-dur, KV.319 [21:40]
Joseph Krips, conductor
Concertgebouw Orchestra, Amsterdam
Recording:1972.11 Concertgebouw Hall, Amsterdam



演奏★★★★★ 録音★★★★★     [評価が2点、が1点の10点満点]


お気に入りのCDや海外のライブ録音を気ままに紹介する Musikfreund(ムジークフロイント)。本日は、モーツァルトの交響曲第33番を、ヨーゼフ・クリップス指揮、コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏で聴く。

    

ヨゼフ・クリップス(1902〜1974年)はワインガルトナーに師事したウィーン生まれの名指揮者で、戦後はソ連当局の要請で指揮者不在のウィーンの楽壇で活躍し、その復興に尽力したことで知られている。

「クリップスは戦後のウィーンの音楽復興の大功労者であり、実際指揮者としても高い能力をもつ人であったが、不思議に日本ではあまり評判にならないまま過去の人になってしまった。レコードの上では良いオーケストラを振ったものが少なく、それに散発的にしか出なかったせいでもあるだろう。もっとも彼の指揮そのものにも終始ひとを惹きつけて離さない何か強い一筋の主張が欠けがちだったことも事実で、それと隣り合わせのところであまりよく理解できないことや、緊張の弛むことが生起するような演奏を、私もずいぶんウィーンで不思議に思って聴いたものである。」 ( 『レコード芸術』通巻第296号、大木正興氏による月評より、音楽之友社、1975年)


しかし、フルトヴェングラーやカラヤンの演奏活動が解禁となり、クナッパーツブッシュ、ワルター、ベームといった大物指揮者が続々と復帰した中にあっては影の薄い存在であった。わが国でも一流の指揮者としての認識はうすく、カラヤンなどとは対照的に、容貌も"剥き卵"のようにモッサリして、見るからに華のない指揮者の典型といえる。

クリップスの指揮は決して派手さはないが、生粋のウィーン子ならではの情緒と品位を備え、師ワインガルトナーゆずりの古き良き時代のウィーンの香気が薫りたつような芸風で知られている。とくに、クリップスが心血を注いだのがモーツァルトだ。

クリップスは「すべてはモーツァルトに通ず」と語っていたように、モーツァルト以外の作品でもウィーン流の優雅なスタイルにこだわりをみせ、徹底的なリハーサルは楽員をうんざりさせた。また、作品に対する奇妙な表現がときに失笑をかい、アメリカのラジオ番組では、その陳腐なコメントが逆に一部のマニアにうけていたらしい。

    


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クリップスはモーツァルトを心から愛していたのだが、「ブルックナーの音楽は実はモーツァルトである」、「チャイコフスキーもモーツァルトに通ずる」などと、なんでもかんでもモーツァルトと結び付けた。作品のわずか数小節にこだわり、その箇所を1時間以上にもわたって繰り返し練習することもあったという。 (平林直哉著 『クライック名盤名演奏100』より、同上)

クリップスのレコードは47〜54年にデッカに一連の録音が残されているが、〈20世紀の巨匠シリーズ〉と題して再発売されたディスクはどれも貴重なものばかりで、とくにウィーンフィルを振ったステレオ初期の録音は、ウィーンの古き良き香りを伝える名演奏といえる。

 

シリーズの中で特に筆者の目をひいたのが、クリップス最晩年の70年代初頭に集中的に録音されたコンセルトヘボウ管とのモーツァルト交響曲集(20曲)だ。これらのフィリップス録音は、じつはこれまでごく一部がLPで発売されただけで、そのほとんどが初のCD化という。こんなお宝録音がレコード会社に眠っていたとは・・・。

  

〈第33番〉の演奏といえば、カルロス・クライバーがバイエルン国立管を振ったライヴ映像も昂奮をかき立てるが、やはりウィーンフィル、コンセルトヘボウ、ドレスデンといった音色に独自の美感をもつオーケストラに筆者の手がよく伸びる。その中でもピカイチがこのクリップス盤で、中庸のテンポから繰り出される楽想の美しさが隅々まで浸透しているのが最大の魅力。

 

特筆すべきはコンセルトヘボウ管ならではのみずみずしいサウンドときめ細かなアンサンブルで、くすみ掛かったオランダ特有の音色は、このホールで熟成された"極上のサウンド"といってよく、シルクのような弦楽器燻し銀の管楽器は決して華美にならず、その両者がしっとりと溶け合うよ うな響きには酔ってしまいそうになる。

「一聴して思うのは、曲によって演奏の質にほとんどむらがないということだ。とにかくどの曲を聴いても質が極めて高く、その気品に満ちた美しい佇まいを持った音楽の姿にはため息が漏れるほど。収められた20曲のどれを聴いても、時間を忘れるほどの至福感に満ちている。ウィーン時代以前に書かれた作品における、老人が指揮したとは思えないような溌剌としてみずみずしい感性に彩られた爽快感もすばらしいが、第35番以降のウィーン時代の7曲に示された充実ぶりはさらに見事としか言いようがない。」 ( 中村孝義氏による月評より、『レコード芸術』通巻第682号、音楽之友社、2007年)


誰が星とダンスに付き合っている

「モーツァルトの宝石箱だ。どこをとっても最高の音楽、最高の教養がこのセットには溢れている。このセットを座右に置き、すべてのフレーズのイントネーションを調べたり、どんなニュアンスのアクセントが置かれているのかを感じたり、主旋律と対旋律のバランスはどうか、適切なテンポとは何か、緩除楽章とメヌエットのリズム感覚の違いは、等々を研究するだけで、4年間音楽大学に通う以上の知識が得られるに違いない。しかし、そんなことを一切考えず、ただただ美しいモーツァルトの音楽に浸ることは、いっそう幸福なことだろう。」 ( 禿臂篭鈎『交響曲CD絶対の名盤』より、毎日新聞社、2005年)

第1楽章 アレグロ・アッサイ、変ロ長調、4分の3拍子

交響曲第33番は生地ザルツブルクで最後に書かれた作品群の1つで、 "モーツァルトの田園交響曲"とよばれるにふさわしい牧歌的な愉しい気分をたたえたシンフォニーだ。

トリルをふんだんに使った典雅なスタイルの中に、朗らかなメロディーが次々と沸き出る才能の宝庫のような名曲は、ムラヴィンスキーやカルロス・クライバーといった指揮者がコンサートで好んで取り上げる玄人好みの作品といえる。

 

さっぱりとしたフォルテの打ち込みで開始する第1主題は、緻密なアンサンブルから紡ぎ出されるみずみずしいタッチが心地よく、こまやかに配したアーティキュレシーションの綾がじつに美しく開陳されてゆく。8分音符のスタッカートを駆け走り、これが力強いリズムとなって頂点で到達する37小節の力瘤を感じさせない爽やかさは、聴き手の快� ��を誘ってやまない。

聴きどころは優美な歌があらわれる第2主題(55小節)。さりげないフレーズの中にしっとりと艶を込めた弦の歌は光彩陸離たる美しさで、色気のある木管と応答を繰り返すところの蠱惑的な響きは、聴き手を惑わすような妖しい魅力すらそなえている。

緻密なトリル、なだらかな8分音符、一気呵成にクレッシェンドする3連音の刻みは解放感に充ち溢れ、オーボエとファゴットがフォルテでくわわるドローン(119小節)は、まるでバグ・パイプが鳴っているような錯覚にとらわれてしまう。

 

どんなに貧しい装置で再生しても、茶の間がコンサートホールと化してしまうフィリップスの名録音は、凝ったオーディオ・マニアならずともその美しい響きを堪能させてくれよう。

「これらの演奏に一貫する特徴のひとつに、コンセルトヘボウの弦の美しさが挙げられる。もともとヨーロッパの並み居るオケの中でも、とりわけ高い質を持つオケだが、きめこまやかで目の詰んだ、燻し銀のような光沢と一種独特の色艶を併せ持つこのような響きはめったに耳にできるものではない。コンセルトヘボウと言えども、いつもこのような美しい響きを奏でられるわけではないので、これを引き出したクリップスの並々ならぬ手腕はおのずと了解されるだろう。これらすばらしい弦楽器群をベースに、木管楽器群も実にチャーミングな表情と色を添える。」 ( 中村孝義氏による月評より、『レコード芸術』通巻第682号、同上)


キティカーライルは、次の場合に死んだ

展開部(139小節)「ジュピター動機」 (交響曲第41番フィナーレ)の萌芽があらわれる。トリルと交互に応答を重ねる弦、ファゴット、オーボエ、ホルンのしみじみとした風情はいかばかりであろう。弦楽が3連音の刻みで彩る密度の濃さや、第1ヴァイオリンとファゴットがユニゾンで奏でる侘びた風情など、老巨匠は素朴な田園情緒を柔らかなハーモニーによって爽やかに描いてゆく。

再現部(208小節)は単調な繰り返しを避けて、さまざまな工夫が凝らされている。シンコペーションとトリルを取り入れた第1主題、5度下げてヴィオラと歌いはじめる第2主題をはじめ、ゆたかな弦楽サウンドを聴かせるユニゾン楽節など、器楽合奏の冴えた妙技を存分に堪能させてくれる。

コーダに入る手前で翳りを帯びた哀しい眼差しをふと見せる周到さも、老熟したクリップスならではの心憎い"奥の手"といえるだろう。

 

第2楽章 アンダンテ・モデラート、変ホ長調、4分2拍子

優美な中に温もりを感じさせる2つの主題の間に、そっと挿入された愛らしくも哀しい楽句(19〜26小節)がこのシンフォニーの最大の聴きどころだ。

在りし日の恋人の思い出を慈しむように、しみじみと奏でる老匠の語り口は涙もので、これがわずかに変奏される展開部(58〜69小節)では、第1ヴァイオリンが高音部へ飛翔してさらなる哀しみを綴りつつも、生きる喜びを感じさせる高貴な歌い口はじつに感動的だ。

展開部はじめの弦の柔らかなフガートや、みじかい管楽器のアンサンブルにも耳をそば立てたい。

「おのずと音は豊かな膨らみとのびやかさを獲得し、音自体が音楽をいきいきと語りはじめる。現在の激しくコントラストを付ける、尖った表現によるモーツァルトとは異なり、いかにも中庸と言えばそうなのだが、逆にこれがどれほど難しいことか。これほど見事なバランス感で美しいフォルムやテンポで整えられ。それぞれの部分にいきいきした生命が宿っていると、これぞまさに理想のモーツァルトと思わず言いたくなる。」 ( 中村孝義氏による月評より、『レコード芸術』通巻第682号、同上)

第3楽章 メヌエット、変ロ長調、4分の3拍子

出版の際に付けくわえられたというウィーン風のメヌエットは、いかにも宮廷音楽風の雅やかな楽想で、これはもうウィーンの産湯で育ったクリップスの独壇場だ。

シルキーな弦をたっぷり鳴らし、愉悦感のある木管とホルンが典雅に彩ってゆくあたりは水を得た魚のようで、ツボにはまったように上品に歌いまわすトリオの優雅さも特筆ものだ。

 


「とにかくあらゆる瞬間が、音楽に満ちている。それにテンポ感も実によい。速すぎず遅すぎず、音楽のフォルムが最上に生きる見事なものだ。上からの強烈なコントロールによって思うものを引き出すといった強引な姿勢ではなく、彼の手の中でオケを泳がせ、メンバーが気持ちよくのびのびと自分たちの美質を発揮して歌っているうちに、いつしかオケ全体がクリップスの大きな世界に包み込まれていくという具合。」 ( 中村孝義氏による月評より、『レコード芸術』通巻第682号、同上

第4楽章 アレグロ・アッサイ、変ロ長調、4分の2拍子

かのベートーヴェンが〈第8〉フィナーレのモデルにしたとされる"喜びに沸き立つ村祭り"の音楽は、生き生きとした躍動感に溢れんばかりだ。力感をさっぱり排除し、サクサクと弦を入れたみずみずしいアンサンブルが心地よく、第1主題を変奏する41小節から、いよいよ名門楽団が見事な腕前を見せつける。

付点音符、装飾音、スタッカートを駆使した難技巧のフレーズを緻密にさばき、伴奏きざみの1音たりともブレることのない精妙なアンサンブルは、もはや器楽演奏の限界を超えたもので、しかも誰ひとりとして荒々しく弾き飛ばすことなく、落ち着きのあるフレージングを配するあたりはクリップスのしたたかさが浮かび上がってくる。

 

晴朗なカンタービレを聴かせる第2主題(83小節)もこの交響曲の大きなご馳走のひとつで、細やかなアーティキュレーションの妙味には目を見張るばかり。

さらに作曲者は村の楽隊を連想させる愉快な第3主題(130小節)を用意する。トリルの入った戯けた木管の主題に応えて弦が陽気に弾む舞曲は、荒っぽい躍動をむしろ控え、アンサンブルの緊密さによって勝負するところはクリップスの職人ワザといえる。[提示部リピートあり]

展開部(162小節)は弦の3連音のせわしい中を、オーボエの悲嘆にくれるかのような哀調を帯びた和音が明滅するが、ファゴット、ホルン、低音弦が模倣を繰り返すうちに愉しげな気分が戻ってくる。ユニゾンで大きな弾みをつけて再現部(214小節)へ突入するところは荒ワザを仕掛けることなく、純音楽的な澄み切った新鮮さを発揮する。

5度下げて歌う第2主題のカンタービレや、10度ハネ上がる付点主題の変化を克明につけ、第3主題の田園牧歌へと繋げる再現部の手際の良さも抜群で、みずみずしいリズムから繰り出されるコーダの冴え冴えとしたアンサンブルは、最後まで途切れることなく清涼な気分を聴き手に運んでくれるのである。

「これらの交響曲をまとめて耳にして、退屈になるどころか、モーツァルトの世界にこれほどどっぷり浸れる演奏も珍しい。一般には並の存在としか認知され難いクリップスという指揮者の、ほんとうに優れた手腕を持つ職人としてのすばらしさを再認識させる集成であると同時に、彼のモーツァルト解釈の説得力の大きさをまざまざと感じさせる、クリップス最高の遺産と言っても差し支えない。」 ( 中村孝義氏による月評より、『レコード芸術』通巻第682号、同上)



これは名匠クリップスが老境に見せた温雅なモーツァルトで、コンセルトヘボウ管のみずみずしいアンサンブルとその職人芸を心ゆくまで堪能させてくれるお宝のセットである。

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