2012年5月4日金曜日

日航機御巣鷹山墜落事故より18年


日航機御巣鷹山墜落事故より18年

2003年8月記す

『クライマーズ・ハイ』に寄す

埼玉県側より秩父山系を眺める.
正面両神山の方向に御巣鷹山.
(両神村観光課転載承認)

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目次

ボーイングの空
読むのも辛いボイスレコーダ
『クライマーズ・ハイ』を知る
私も御巣鷹山へ
なぜ520人の命は失われたのか
では報告書の原因は正しいのか―背景
原因を事故機に限る報告書
最後の念願


 この8月上旬私は北海道千歳空港から網走女満別(めまんべつ)まで飛ぶことがあった。羽田からB747ジャンボ・ジェット機で飛んできたあと、千歳の乗り継ぎで待っていたのはあのYS11機である。YS11は知る人ぞ知るわが国の国産機で、その設計者は木村秀政、あの戦後日本の航空機設計の伝説中の人である。航空機といえばジャンボ・ジェット機という時代に、このようなローカル線でYS11が一生懸命飛んでいるのに出会うと、なにかほのぼのとした気持ちになる。B747と比べてこのYS11の小さいことは、ちょうど幼児を大の大人と比較するようなものである。座席も中央通路の両側に2列ずつで、こじんまりとして定員もわずか64人である。乗り込んでしばらくして座席前の新聞に目を通す。あの日本航空B747墜落事故(羽田発大阪行き123便)で500人� ��上の犠牲者が出た8月12日がめぐってくるという。あの事故は1985年のことだった。早いもので今年で18年になる。

 16年前、つまり事故の約2年後に航空事故調査委員会の出した最終調査報告書の新聞記事(1987年6月20日毎日新聞朝刊)を私は資料としてとってあった。あの事故の起こった1985年は滞米中で日本にいなかったので(アメリカでもNASAのチャレンジャー墜落事故があった年である)、この記事は永久保存しようと思ったのである。さすがに、新聞は古くなりいくぶん黄色がかっていたが、読み返してみた。ことにコックピットのボイスレコーダ記録はあまりにリアルすぎて読めない。まじめに読み込もうと思い、私の助手にその記録のワープロ入力を依頼した。心優しい助手は、その作業は大変辛い作業で、以前ボイスレコーダはTVでも聞いたが、たいそう辛く今回も涙を流しながらの入力作業だったという。そうだろうと思う。私は無理な依頼の労� ��ねぎらったが、ちょうど8月12日になっていた。読む間にも、墜落寸前の亡くなった方々の心、遺族の気持ちの思いがうかぶが、うまくそれを慰める言葉も見出せない。心からその冥福をお祈りするだけである。

 記録を読んでまもなく気づいたのであるが(そしてすでに多くの人々も気づき指摘しているのだが)、記録は「ドーン」という音がして以後墜落瞬間までの32分間のものである。では、羽田離陸以後「ドーン」までの11分間の記録はどうなったのか、という疑問がわく。事故原因の手がかりはこの11分間に含まれているはずで、ここで何が起こったのか。この部分は今日でも明らかにされていない。航空事故調査委員会の出した報告書は、原因を後部の「圧力隔壁」の破壊(そして尾翼の喪失、制御機能の全損)と結論づけている。にもかかわらず、いまだ答えられていない疑問点が遺族はもとより関心をもつ多くの人々からあげられており、それどころか、そもそも(これは異例だが)調査報告書自らいくつかの関連項目を「不明な」点として指� ��しているのである。航空事故調査委員会自らが解明できなかったと告白した点をどうやって一般の人が解明できるというのか、正直というよりは調査委員会が責任をどう考えているのか、はなはだ疑問が残る点である。いまのところ圧力隔壁破壊説以外には事故原因は出されていない。しかし、調査委員会自ら情報を十分に明らかにせず、また原文書資料の相当部分を保管期限を過ぎたという理由で廃棄してしまった現在―新潟水俣病の被告昭和電工は、この種の理由で敗訴していることを思い出す―それ以外に事故原因はないといい切る資格は、もともと航空事故調査委員会にはないはずである。


何が変化する顔のR&Bグループが起こる

 そう思っているうち、日航機墜落事故を追う群馬県の地元新聞社の奮闘を描いた小説がありますよ、『クライマーズ・ハイ』(横山秀夫、文藝春秋社)という今ベストセラーになっているものですと、わが助手が教えてくれた。著者は上毛新聞で主幹デスクとして事件報道の陣頭指揮をとっていた敏腕な元新聞記者である。私は、のちに御巣鷹山のふもとの上野村にある「慰霊の園」資料館を訪ねたが、そこには著者が上尾新聞記者時代に日航機墜落事故について筆をとった記事がすべて保存されていた。それらは『クライマーズ・ハイ』の日航機墜落事故に関するくだりとピタリと一致していた。著者は『クライマーズ・ハイ』で、フィクションの体裁をとりつつも、日航機墜落事故については、事実をそのままに描いているのである。� �からこそ、『クライマーズ・ハイ』は、私に圧倒的な力を持って迫って来たのである。

 取材と報道は外も内も困難を極めた。犠牲者は500人以上、墜落地点はめったに人の入らない山また山奥のこと、困難のなかでの懸命の夜間捜索により群馬・埼玉・長野の3重の県境からわずかに群馬県へ入った御巣鷹山の尾根と判明したのは、墜落から実に10時間以上も経っていた。実際、この地元新聞も「おすたか」という地名さえ知らなかったのである(ちなみに、昭文社の分県地図「群馬県」にもこの山は出ていない)。当然報道も混乱をきわめた。

群馬・長野・埼玉3県境の山並み
中央 ・ 点が御巣鷹山(昭文社複製承認)

 上野村の「慰霊の園」資料館で調べてみると、上毛新聞の翌朝8月13日第1報トップ記事は墜落地点を長野県南相木村としている。

 東京一大阪の予定航空ルートからすると群馬は大きく外れており、社内は、事故はたまたま群馬であったにすぎずそれは「群馬県のニュース」なのか、という空気に包まれ、空前の大事故を恐れと冷淡さの混じった目で見ていた。だが、そういってはおられない状況があった。墜落現場が属する群馬県上野村は文字通り降ってわいた大事故に異様な緊張と混乱に見まわれ、村長以下全村あげての対応に立ち上がっていた。主人公は突然総括デスクに指名され、内には社内の無気力との闘争、外には未曾有の救出大作戦と事故原因調査の取材の闘争がはじまる。ちなみに、主人公は登山者(山屋)である。「クライマーズ・ハイ」とは、切り立った垂直の絶壁を昇るときに恐怖感が麻痺する病であるという。いうまでもなく、このフィクショ� �では御巣鷹山をもう一つの困難な山と見立てている。

横山秀夫『クライマーズ・ハイ』文藝春秋社
(文藝春秋社の御好意による)

 私は以前から日航機墜落事故の本質にドロドロとした何かを感じ、日航機墜落事故のことを考えるたびに鬱々とした気持ちになっていた。

 土曜朝『クライマーズ・ハイ』を途中まで読んだとき、私の心の奥底から、押さえきれない激情が迸り出て、居ても立ってもいられなくなった。自分の目で日航機墜落現場を見なくては、と。さいわい東京の西郊から近くはないが遠くもない。私は高校では山岳部だったから、山は若干の覚えもある。

 一応の装備をし、車を引っ張り出し、午前10時にスタート。天気は曇りであった。都下の青梅(おうめ)から埼玉県の名栗(なぐり)渓谷つたいに上がり、正丸峠を越え秩父に入り、夏の台風による路盤崩壊で不通になっている埼玉・群馬県境の志賀坂峠を避けて、土坂峠経由で群馬県へ。神流(かんな)川に添って上がり、四方を山に囲まれた上野村へ入ったのは午後1時過ぎである。ちなみに、これはほぼ日航機の死闘の地上ルートに相当している。ついでこの本にもある「ぶどう峠」方向に西へ走り、ついで南へ。次第に山は高く谷は深く切れ込んで行く。「落石注意」と書いた標識にヒヤヒヤしながら、狭い山道にそって車を繰り―ギヤを一段落とさないと無理―やっと御巣鷹への登山道入り口にたどり着いたのが午後2時前。ここまでいく つ峠を越えただろうか。車ではここまでが限度であり、以前はここで引き返した。


どのようにサックスは、ビデオを作っている

 今回は2度目であるが、時間が早いし準備もある。だから登ることにする。登山者は私だけのようである。一帯は高度が高く地形が複雑で午後は雷雲の通り道になっており、危険が増すという警告が目に入る。わずかに小雨がふるが、この分では本降りにはならないだろう。手早く登り暗くなる前に下山しないと危ない。夜の山行は危険が数倍になるのである。慰霊者のために作ったこの登山道で登頂は楽になった。とはいえそれでも、全行程の8割以上は少なくとも20度以上の勾配があり、要所には手摺りや鎖もついている。

 ところどころの胸を突くような急勾配は厳しく、見た目には40度近くある感じもする。実際御巣鷹山は1600m級で、犠牲者の肉親が高齢だと相当大変であろう。手強い山である。そうやって急坂と瓦礫の道と闘いながら沢登り(スゲノ沢という)を1時間、ついに「御巣鷹の尾根」に立つ。私はあちこちに点在して視野に入って来る犠牲者の銘標の群に息をのみ、ことばに言い表せない悲痛な気持ちに打たれた。

 「御巣鷹の尾根」墜落地点の図

U点で最初に尾根に接触、H点にほぼ裏返し状態で衝突。
機体は2つに折れて、後半部はスゲノ沢側に滑落。
機体の後端(尾翼はすでに脱落)S点に生存者。

 なぜどのようにして日航機は墜落したのだろうか。失われた命はいかに慰められようと帰ってこない。けれども、父は、母は、子は、愛する者はどのように最後をむかえたのか、それを知りたい、それが遺族のせめてもの願いである。いよいよ事故原因調査が現地、あるいは上野村役場で始まる。『クライマーズ・ハイ』では、主人公を筆頭に地元新聞の記者たちは昼夜現場あるいは委員会の会合室のまわりに張り付いて、最初の一報を口の固い調査官(委員)の表情や口振り身振りから読み出そうとする。夜遅く遠くから望遠鏡で明るい室内の様子を探ったりする。事故原因の第1報は歴史的大スクープになるはずである。「圧力隔壁破壊」らしいという情報が流れてくるが、ニュースの裏がとれない。正しければ大スクープ、誤ってい� �ば世紀の大誤報になる。結局、朝刊の締め切り時間ぎりぎりまで不確実なまま記事を書くことについて逡巡した結果、主人公は、記事にしないことを決断する。翌朝の全国紙(毎日新聞)朝刊はトップで「原因は圧力隔壁破壊が有力」と報じ、主人公はすべてが終わったことを知る。

 念のため背景をのべておくと、事故機(8119号機)は事故数年前の1978年6月に大阪空港でいわゆる「尻もち事故」を起こし機体後部を破損、その際圧力隔壁部分を修理している。修理はボーイング社が行ったが、事故原因調査委員会はその方法の不適切が圧力隔壁破壊を引き起こしたとしている。

 ふと、こんなことが考えに浮かんだ。なぜこのような悲惨な事故は起こったのか。あの日航機もボーイング社のB747でなく私が北海道で乗った国産のYS11機だったら、事故原因の調査の経過はずいぶんと違ったものになったかもしれない。国産機があるにはあるがシェアはわずかで、日本の航空会社はアメリカの大航空機メーカーであるボーイング社の最大の得意先の一つになっている。とりわけB747は日本をターゲットに開発された機種であることはよく知られている。このように、日本の空の輸送は大部分外国製機体に頼っているから、白分たちで作ったのではない航空機が事故を起こしても、ユーザーだけによる原因調査にはおのずから限界がある。事故原因の調査はもちろん日本単独でおこなったが、このようなメーカー・ユーザー� ��の力関係を通してメーカーへの配慮がなされたという推定をもつことには理由がある。

 事故原因というものは、単に工学的・技術的見地に留まらない広い意味での論理的説得力、情報公開による公平・中立・正義の原則から考えて十分でなくてはならない。そうではなかったというのが筆者の考え方である。それを「事故原因に関する推定」として述べたい。

 そもそも「原因は圧力隔壁破壊」というのは正しいのだろうか。正確には「事故調査委員会は圧力隔壁破壊を原因と判断した」であろう。「原因は圧力隔壁破壊」こそいつの日か「大ミス」とならぬとも限らない。以下は私なりの疑問点をあげておこう。


音楽は検閲されるべき
  • 後部ドア破壊脱落説 事故発生直後は、後部ドア破壊脱落という情報もあったが、それはすぐ消えて「圧力隔壁破壊」説がとってかわり、以後はこの説だけが考慮されることになった。後部ドア脱落説はどういう根拠でだれが主張したのか。またどうして、バラバラになった機体から1,2日という短期日で原因が探れたのか。
  • 日本航空社長の辞意 高木養根日本航空社長は事故直後いち早く辞意を表明している。事故原因が確定していないにもかかわらずこれは早すぎる。どのような背景があったのか。
  • 航空事故調査委員会の立場 運輸大臣直属の常設機関であり、委員長を含め定員5人。武田峻委員長は前宇宙技術研究所長だが、委員には航空局OBが2人も入っている。航空管制は運輸省の一部局である航空交通管制部(ACC)が行っているから、航空の安全の責任は結局運輸省にある。したがって航空機事故調査委員会はいわば身内を裁く委員会となるから、事故原因調査にあたってその独立性に疑問がある。制度として、公正取引委員会のような政府から独立した行政委員会が望ましいのではないか。現に、今度の中央官庁改編に際して、原子力安全委員会は経済産業省(通産省)から切り離されている。
  • アシスタント・パーサーの立場 不幸中の幸いで4名が事故から生還した。このうち、日本航空のアシスタント・パーサー(パーサーを補佐するスチュワーデスの地位)Oさんは乗客として乗っていて、事故当時の機内の様子を証言している。証言は非常に冷静で取り乱した所は全くない。他方Oさんは客観的には日本航空の社員である。しかも、証言は警察の事情聴取に先立って行われ、内容は日本航空の社員によって東京で発表された。当然、Oさんの証言内容は日本航空によって事前にチェックされたであろう。もしそうだとすれば、事故原因調査の上でも大きな汚点である。
  • 事故原因調査報告の「要旨」の意味 本体はさらに大部のものであるので、いわゆる一般向けの「エグゼクティブ・サマリー」(要旨と訳す)が公開されたものである。官庁の報告書では内外でよく用いられる形式である。ただし、「要旨」とは全体を縮小したものか、要点だけの説明なのか。場合によっては、何が重要な要点かそれがあらかじめ公開前に取捨選択されるおそれがある。ことに、原因について、結論に結びつく事実が選び出され、それと矛盾する事実は発表されないことは十分に考えうる。
  • 事故原因調査の論理 これが最も重要なポイントである。どのような理由付けで、圧力隔壁破壊が原因であることが特定されたのか。この重要なポイントを報告書は何も語っていない。火災でいうと複数の原因のうち、どうしてそれが(ある出火原因が)火もとと確定したのか。事故原因調査報告は冒頭から、その判断の理由を示さずに、圧力隔壁破壊が原因とし、報告書はそのほとんどがその破壊がいわゆる「尻もち事故」の修理不適切からもたらされた理由に終始している。
  • 「尻もち事故」の「修理」では、この「修理」の不適切が(それだけで単独に)墜落原因を引き起こす程度に不適切であったか。報告書の説得力は弱い。適切と不適切の2図を載せて比較しているが、この2図を本文と照らし合わせつついくら見てもその差はわからない。はっきりいえば、その差はほとんどなく、少なくとも墜落原因を引き起こす程度ではない。この程度の「修理ミス」が墜落原因になるなら、航空機は危なくて安心して乗れないであろう。実際、仮にもし、「尻もち事故」の「修理ミス」が墜落原因となり得るほど大きいのなら、そもそもそのダメージを「修理」するという問題ではないし―あえて「修理ミス」とするならば、それ自体は不適切なものとして「修理」の責任者は刑事責任を追及されてしかるべきであろう。だ が、ボーイング社は「修理ミス」は認めたが、刑事責任あるものとは認めなかった。

事故報告書掲載の圧力隔壁修理図
正常図と実際図との区別はほとんどつかない


  • 実験室実験の意味 圧力隔壁破壊を根拠づけるために、調査委員会は実験室で模擬実験を行い、報告書はそれを取り上げている。もちろんこれ自体には工学的意義があろう。しかし、原因調査の判断根拠としては十分ではないのは、他の疑われている原因からは事故が起きないという実験も合わせて行われなければ、最終的判断にはなりえないからである。
  • 生存者証言とのくいちがい 多くの航空専門家によって「急減圧はなかった」と説明され、報告書の信憑性が疑われるポイントである。圧力隔壁が修理ミスで破壊し、室内の吹き出す圧力で全尾翼が吹き飛び、飛行不能に陥るという原因結果関係が事故調査委員会の最終結論であった。そうであるなら、一気に、機内には瞬間疾風が走り、固定していないモノは風で吹き飛ぶ。機内は7、8千m上空の外気と同じに、気圧は急激に下がり(したがって、鼓膜が激しく痛み)、呼吸は困難をおぼえ、気温は零下40度となり、またパイロットは酸素マスクを装着したはずである。ところが、生存者の証言にも遺書にも、またボイスレコーダにもそういう内容が全くあらわれない。事故調査委員会の説明は、急減圧はあったとするが、事実に関す� ��情報が公開されていないため、矛盾しない事実のみが集められたという反論には答えられない。
  • ボイスレコーダ記録の信憑性 部分しか公開されていない。しかも、公開部分の冒頭には、これ以前に何かの異常が起きていたことを示唆するパイロットの発言がある。その他、事故当時の上毛新聞は、日本航空機長組合が、ボイスレコーダの聴取記録にパイロットが用いない不自然な用語があり(例えば、「パワーアップ」を「アップパワー」とするなど)、ボイスレコーダのテープ自体を公開するよう要求したことを報道している。ボイスレコーダ記録自体が公開されていないこと自体がこれらの信憑性を落としているのである。また、2000年8月に情報源が秘密にされたボイスレコーダが「ニュース・ステーション」をはじめいくつかのTV番組で発表され、パイロットの「なんか爆発したぞ」(圧力隔壁の破壊音とされている)と� �われる内容は実はそうは聞こえない、という指摘も多くなされている。
  • フェイル・セイフ・システム 1つの系統が破壊あるいは機能不全・停止になっても予備系統がとって替る安全システム(多重安全設計)のこと。航空事故調査委員会は多くの説明を行っているが、フェイル・セイフ・システムに関しては説明が薄い。また、フェイル・セイフ・システムについての議論が持つ重大な「意味」について、一般の反応は(恐らく潜在的にはわかっているにもかかわらず)鈍く、結局、気がついていないのと同じである。
     つまり、以下に述べるように、事故原因は、実はこのフェイル・セイフ・システムに関わるのであり、日本航空とボーイング社をつなぐ重大問題に触れるのである(以下)。
  • 以下は私のあくまで推定である:
     
    航空事故調査委員会は、相模湾洋上で、破壊した尾翼の一部が見つかったことを重視し、これを事故原因調査の柱の基礎部分にしようと考えた。調べてみると、事故機はかつて「尻もち事故」で圧力隔壁を修理した事故歴がある。この「修理ミス」が圧力隔壁の破壊に通じたのか。通じたか、通じないか、そこは判断がむずかしい。ただ、通じないとも断定できない。仮定のもとでは、通じることの確認の実験はできるのでそれで破壊の根拠を補強する。しかも、さいわい、ボーイング社は事故機の「修理ミス」は認めている。次に、ここで非常に決定的に重要な論点がある。圧力隔壁が破壊したときのフェイル・セイフ・システムはないのか。想定されていない。想定されていないなら、そ� �はB747全体つまりボーイング杜の設計ミスないしは欠陥設計になってしまう。つまり問題は事故機(8119号機)だけではなく、すべて同型機種全体に拡大するのである。これは、全く航空事故調査委員会の管轄範囲を越え、日本航空やボーイングの経営問題に発展する。あるいは日米の通商・経済の議題に上がるかも知れない。したがって、航空事故調査委員会には「8119号機」の範囲のなかで事故原因を構成することができるかが最大の問題になったのである。[以上は知られた資料や事実による推定である。]

 尊い人命が失われた。私は、いまさらのように、われわれが責任ある政府をもっているのかを自問したい。そういう政府をもったとき、いつしかこの御巣鷹山日航機墜落事件(事故でなく)の真相も明らかになるだろうと信じている。

群馬県上野村にて



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